YOUCARE AIKO

特養という「いのちの現場」で


真正面から人生と向き合う。


2010年入社

特養/主任
塚田正典

自分もイチから、
施設もイチから。

高校を出てから2社連続、製造業で働いていました。ものをつくる会社の空気が、なんとなく好きだったんだと思います。そこから離れるきっかけになったのは、あのリーマンショックでした。受注がどんどん減っていって、給料も下がり続け……。「これはまずい」と思った時に、「じゃあ、世の中からいつも必要とされる仕事って、一体なんだろう?」と考えて、思い至ったのが介護職。一念発起して会社を辞め、ヘルパーの資格を取って再就職することに決めたんです。と、表向きにはいつもそう話しますが、介護を選んだ根底には自分の親を看取れなかったことへの後悔がありました。あのとき親にしてあげたかったことを、施設の入居者様にさせていただくことで、少しだけ自分が慰められるかもしれない。そんなことを思っていました。

そろそろ資格も取れそうだというタイミングで出会ったのが相河でした。「新しくできる施設」と聞いたもので、「自分もイチから、施設もイチから」ってなんだかいいなと思ったんです。以来、相河と共に成長し、今日に至ります。

おんぶして、
公営団地の4階まで。

特養ユニットの最大の特徴は、看取りのケアがあることです。思い出深いのは、終末期の利用者様で、「家に帰りたい」とおっしゃっていた方を、日帰りでご自宅までお連れしたことです。その方のお住まいは、エレベーターのない公営団地の4階。近くまで車で行ったら、そこからはおんぶして4階まで上がり、夕暮れの中またおんぶで降りて。ご自宅の空気の中で最後のひと時を過ごし、嬉しそうにされていたのが目に焼き付いています。ほかにも、「思い出の洋食屋のハヤシライスが食べたい」をご家族と一緒に叶えに行ったり、「桜が見たい」という方には近くの河川敷まで車椅子で出かけたり。すべてのご希望を叶えきれないことも、あるいは叶える上での大変なことも時にはあります。でも最大限のことをしながら穏やかに看取りを終えて、ご家族から感謝された時の気持ちはなかなか言葉では表せません。できることなら、ご本人に感想を聞いてみたいですけどね。どうでしたか、相河での最後の時間。幸せだったら、嬉しいです。

もっと地域に開かれた場所に。

私の目標はすごくシンプルで、とにかく入居者様に毎日を楽しく暮らしてもらうこと。そしてそのために、職員にも楽しく働いてもらうことです。今は主任の役職なので、若い職員たちと壁をつくらず、小さなことでも話してもらえるように雰囲気づくりをしています。

コロナ禍前、相河は地域の小中学校の子どもたちや、ボランティアの皆さんが、それはもう頻繁に出入りする施設でした。最近はそうした交流がなくなっているのが少し気がかりで、やはり相河は地域と地続きであってこそ相河だと思いますので、ちょっとでも外に開く機会を持てたらと思っています。この地域の人たちが、「相河は自分たちの施設」だと当たり前のように思ってくれたら誇らしいですね。

前のページに戻る